文明が発達すれば古い文化は滅び、新しい文化が生まれ、経済の発展が鈍ると古来の文化が見直されてきます。これは古今東西を問わず繰り返されてきたことです。しかし、「世の中は無常だから変化していくのは当然」ではすまされないように思います。最近、戦前の記憶が残っていらっしゃる方々が、昔は良かったと、年齢を重ねたゆえのノスタルジーではないのかと疑心暗鬼になりつつも、どこかおかしい現代日本に、「警世」とか「憂国」とかいう気持ちを超えて本気で嘆いているようなのです。
 茶髪やピアスに見られるようなファッションや訳のわからない若者言葉の流行などということもありますが、このどこかおかしいという感覚は、特に、食という分野において顕著なのではないでしょうか。
 家族構成の変化といいましょうか、核家族化の進行、共働きの増加といったことが家庭で料理を作らない、食べないといった現象を引き起こしています。外に出ればスーパーなどには焼き物、揚げ物、煮物、なま物と出来合いの惣菜が所狭しと並べられています。コンビニにはオニギリ・サンドウィッチ・弁当類が山積みされ、またファミリーレストランと称するお店では和・洋・中といった様々な料理が提供されています。
 しかし、こうした便利さの裏で本来日本人が伝承してきた本当の日本食というものの姿が失われてきているように思います。
 日本の食文化の特徴として、味噌・醤油・味醂・酢・日本酒・焼酎・納豆・干物・鰹節などの発酵食品があげられますが、特にこれらの分野において、本来のものとは異なった商品が氾濫しているのではないでしょうか。じっくりと手間をかけて作るのが発酵食品の良さなのですが、今は手軽に出来る速醸発酵で量産という形をとっているものが非常に増えています。似て非なるものの氾濫です。
 日本食文化を世界へと、グローバルな進出がもてはやされる昨今ですが、先ずは日本国内に、本来の日本食を復権させることが必要なのではないでしょうか。
 日本人は幸せなことに、地理的に自然の幸に恵まれた豊かな環境の中で育まれてきました。日本列島は南北に長く、大陸に沿う形の島国で温帯地域の非常に良い気候の中にあり、四方は海に囲まれて暖流と寒流がそれぞれ存在し、海の幸の豊富な場所です。春夏秋冬がはっきりして規則正しく巡り、それぞれの季節には山菜が採れ、山の幸も多くあります。そうした環境の中で我々の祖先である縄文人たちはクリ、クルミ、ドングリといった木の実や山の芋、ムカゴ、ユリ根などの根茎類、ヒエ、アワなどの雑穀類、そして蛋白質源としてたくさんの魚介類、鳥類、イノシシ、ウサギ、ヘビ、カエル、はてはイナゴや蜂の子などの昆虫類まで食べてきました。昆虫類などは現在でも長野の名産となっています。
 生食出来ないものは加熱という手段によりエネルギー源としてきたわけですが、それ以外に、彼らにとって食材を美味しくといった加工技術はなかったようです。しかし、彼らには「旬」という、日本人独特の感覚、美味しく食べる時期の見極めが備わっていました。
 「旬」とは「食材が一番美味しい時」という意味だけではありません。「収穫が一番多く、人々に良く行き渡り(現代では安いという意味も含む)、かつ栄養価が高い時期」を指しています。「鮎」を例に取れば6月解禁時期ではまだ脂の乗りは少なく塩焼きにして蓼酢で食します。脂が乗ってくる「旬」の時期には田楽やフライなどという形、そして秋の卵が一杯詰まった落ち鮎と続きます。「はしり」「旬」「名残」と一つのものを3回に分けて楽しむわけです。鰹にしても「初鰹」「戻り鰹」などといってそれぞれの時期を楽しみますね。
 そうした食に関する感覚が日本人をして五感でものを食べるという西洋人には無い食文化を構築してきたのです。視覚、嗅覚、聴覚、味覚、触覚、これらの五感に強く訴えるのが日本の食文化なのです。
 ただ、日本人は「食品に加える技術は最小限にとどめ、なるべく自然に近い状態で食べる」わけですから世界の、特に西洋や中国の「そのままでは食べられないものに技術を加えることで食べられるものに変化させる」「自然に存在しない味を創造する」ということが料理の概念とすれば、日本のそれは遅れた料理未開国ということになります。西洋や中国は過去の歴史の中で多種多様な民族の侵入と交流があり、それに伴い料理も発達してきました。その意味では日本は先の戦争まで他国の大きな侵略も無く料理の交流も殆ど無いまま来たのですが、アメリカの進駐で有史以来、初めて食文化の侵略を受けたのではないでしょうか。いつしかご飯がパンになり、味噌汁が牛乳に取って代わられ、肴がハンバーグになったわけです。
 そして、日本の酒文化も変わってしまいました。
 日本の食も乱れ、かつ、お酒もというのでは悲し過ぎるのではないでしょうか。五感で料理を楽しみ、食中酒としての美酒を交わす本来の姿を取り戻すためにどうしたらいいのかという考えに及んだ時、この「醲献(jo-con)」を思い立ったのです。常温でも品質に変化の無い、食中酒としても喜ばれるお酒は造れないものだろうかと。もちろん、お米と米麹、水以外の原料は一切使わないというのが原則です。つまり、現酒税法上でいう「純米酒」で、ということです。(※注1)
 常温でも変質しないためには焼酎のようにアルコール度を高くしなければなりません。確かに、日本酒は1回の発酵で20度前後のアルコールを出すお酒ですが、それ以上の高アルコールの日本酒にするには、今までは出来たお酒に醸造アルコールを加えるという方法しかありませんでした。しかし、「醸造酒」であるためにはアルコール添加という方法はありえません。そこで考え付いたことが添加の逆、除去ということです。出来たお酒の中の水分を除去することでアルコール度を高めるのです。低精白の純米原酒を、時間をかけて凍結し徐々に水分を取り除くという方法を考えたわけです。
 出来たお酒は、1年以上熟成させます。食中酒として料理に合わすためには熟成味がどうしても必要と感じているからです。熟成が進んで琥珀色した液体はアルコール度38度の純米酒(醸造酒)として飛び立ちます。氷を入れたグラスに注ぎオンザロックで、また少し加水してヌル燗という楽しみ方もあります。加水しても味崩れはありません。色々な形で楽しんでいただける食中純米酒が新しく誕生したのです。

※注1:平成17年10月現在。平成18年4月の酒税法改正によりアルコール度数38度の醲献(jo-con)は「雑酒」に分類されることになりました。